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2019-03-16

シリーズ この方はこんな人㉙平時子

こちらは日本史大スキ女のわたしが、日本史上有名で気になる女性たちを
一人でも多くの人に知ってほしいと願い、もうけたコーナーです。
インタビュー形式で展開していますので、興味がありましたらご一読くだ
されば嬉しいです。お次は、この方の紹介です。

~難しい現実に直面しても逃げない・ひるまない姿勢で平家一族の誇りを守り抜いた平清盛のスーパーワイフ~

【プロフィール】
1126年~1185年
平清盛の正室で、宗盛、知盛、徳子、重衡の母。知性と母性を兼ね合わせ、一族
の女性の絶大なる信頼を得たとされる。清盛亡きあとは、平家の家長的存在とな
り、一門を精神的に支えた。壇ノ浦の戦いで壊滅的な敗北をなすと、孫の安徳天
皇を抱き三種の神器を身につけ海水に身を投じた。

【インタビュー】
Rico  平家一門の精神的柱であり、平清盛さんの正妻でいらっしゃる時子様で
す。もう、物腰が上品で、我々女性が敬いたくなる素敵な方です。

時子  武家平氏の身でありながら、一族は登りつめ『おごる平氏は久しからず』
などと言われてしまったけれど、それはそれはドラマティックな人生だったと思い
ますよ。

Rico  平家一族の家風はすべて時子様が作られていったんですよぉ。武士とは思え
ぬ上品な立ち居振る舞いのうえ、一族みなさんが上品でお美しいお顔立ちをされてい
たので、皇族の方々も圧倒されていたそうです。

時子  公家の香りを取り入れながら新しい匂いを演出していかないと。
殿のように才能があっても、名門貴族たちは殿を下に見てしまう。少しでも殿の力
が発揮できないかと思ってきたわね。

Rico  ですよね~。このような時子様のきめ細かい配慮の結果、上品で雅な平家
一門が出来上がっていくわけですよ。

時子  そうなのよ・・・と言いたいところですが、殿はスケールが大きく
豪胆な方。私はこの方にふさわしい女性になりたいと思い、日々心がけて
生きてきただけですよ。そうしたら、いつの間にか私のほうが殿より一門に対し
ての影響力が強くなってしまったの。

Rico  かっこいい~!そもそも男なんて女に甘えて生きている生き物ですからね~。
それが時子様のような才色兼備の女性であれば、清盛さんが甘えてしまうのも仕方な
いですよ。

時子  ホホホ、殿は女性に甘えることが天才的に上手な方であったから、人生で
ずいぶん得をされたのよ。

Rico  そうそう、保元の乱の時にも、鳥羽法皇の寵姫である美福門院様から大抜擢
されましたもんね~。

時子  いきなりのご指名を受け、そのチャンスを逃すことなくモノにされた。
ただ、とんとん拍子にいったことが良かったのか悪かったのか。殿ほどの実力を持つ
子どもは、長男の重盛殿しかいなかったのですよ。天才肌で豪胆で・・・。
後取りにふさわしい方でした。残念ながら私の子どもではないのだけれど。

Rico 時子様の前の奥様である女性との間のお子様ですね。

時子  私も私の息子・宗盛もてっきり重盛殿が平家を引き継いでくださる、と信じ
ていたのに、殿よりも先にお亡くなりになってしまって・・・。

人の上に立てる器を持ってなかった我が子たちに、貴族や皇族の方々を抑える力
はなく、そこに戦上手の源義経殿がおそいかかってきた・・・。

Rico  義経さんは、10万人に1人と言われるほどの戦の神様ですから。
でもでも、時子様の娘の徳子様が天皇との間に男児を授かられ、その子が天皇にな
られたのに。清盛さんと時子様の孫が天皇ですよ。平家時代の全盛期ですね。

時子  それと同時に源氏サイドは「打倒平家」の旗印をかかげて着々と前に進んで
いたのですよ。

Rico  その様子を見ながら後白河法皇を始めとする皇族サイド、が平家方と源氏方
をうまくあやつっていたんですね~。

時子  まっただ中に殿が亡くなられ、私が一門の心の統率者にならねば、と決心し
たのです。表舞台は息子たちに任せながらね。だけどね、殿はずっと重盛殿を頼り
にされていたし、私は私で重盛殿を差し置いては、と考えていたことが災いとなり、
私の息子たちは穏やかにゆったりと育ってしまった。

Rico  いえいえ、時子様の謙虚さは素晴らしいです。だって、このような展開に
なるなんて予想はつきませんよ。

時子  ありがとう。そうね~、教訓を残すのであれば、しっかりしすぎる母親
よりは多少頼りない母親を持つ方が子どもはしっかりした子に成長する・・かしら。
ほんとに最後の最後まで、私が決着をつけなくてはならない、などと思いもしなかっ
たのよ。

(壇ノ浦合戦図)

でも、思い返すと、このような人生はなかなか歩めないわって最後は笑ってしまい
ました。まさに「諸行無常」。人の世は移ろいやすいものなのね。

Rico  平家滅亡となる壇ノ浦の合戦のさなか、8歳の孫・安徳天皇を抱きしめご
一緒に海へ御身を投げられました。平家と共に生き平家と共に死ぬ。賢く理性的な
平家20年の繁栄に貢献された功労者です。

 

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