シリーズ この方はこんな人⑪推古天皇
こちらは日本史大スキ女のわたしが、日本史上有名で気になる女性たちを
一人でも多くの人に知ってほしいと願い、もうけたコーナーです。
インタビュー形式で展開していますので、興味がありましたらご一読くだ
されば嬉しいです。お次は、この方の紹介です
~国の形が定まりつつある6世紀 急激な社会変化のなか 王権への権力集中の打開策として登場した美しきシンボル~
【プロフィール】
554年~628年
第29代欽明天皇の皇女で日本初の女性天皇。18歳で敏達天皇の妃となり、その後、
兄・用明天皇の死去、義弟・崇峻天皇の暗殺を受けて39歳で史上初の女帝となった。
母方の叔父・蘇我馬子と甥・厨戸皇子(聖徳太子)とともに三位一体の政治を執り、
仏教の隆盛に努めた。75歳で亡くなる間際まで国のために尽力した日本が誇る女性。
【インタビュー】
Rico 今回は日本の歴史上初の女性天皇となられた推古天皇様です。
まぁ、大変お美しいですね。にじみ出る気品もすごすぎます。
推古天皇 フフフ。わたくし「現人神(あらびとがみ)」と呼ばれましたのよ。
Rico 確かに!そして、だんな様もお兄様も天皇だったんですよね。
推古天皇 夫・敏立天皇は異母兄よ。当時は母が違えば兄妹同士でも結婚できた
から。母が同じ兄の息子は聖徳太子なの。有名よね。
Rico ほんと素晴らしい血統です。でもどうして女性で天皇になられたのですか?
他の男性にふさわしい人間がいなかったとか。
推古天皇 意味わからないわぁ。だって男性が天皇にならないとダメなんて考えが
そもそもないもの。それに他の有力な男子が王位についたら、私の叔父・蘇我馬子
の立場が悪くなるじゃない。馬子叔父ったら、私に天皇になってくれと泣きつくし、
聡明な甥の聖徳太子まで私が天皇の器にふさわしい、などと持ち上げるから。
まぁ、悪い気はしなかったけど。
Rico 推古様の在位中に世に名高い「冠位十二階」「十七条憲法」の制定がされ
国が統治されましたものね。
推古天皇 この時代の政治がうまくいった要因は、馬子叔父、厩戸皇子(聖徳太子)、
わらわの3人が聡明であり、何事も意欲を持って積極的に行ってきたからよ。
先見の明がある皇子の意見をドンドン取り入れたわ。
Rico 在位期間も36年だったとお聞きしました。人生の半分が天皇ですよ半分が!
推古天皇 あたりまえでしょ。そのための努力もしてきたのよ。
でも初めて隋という国へ送った書状はすごかったわ。厩戸皇子の考案した文章だったの
だけどね。
Rico え~と、日出処の天子・・・でしたっけ?
(厩戸王子=聖徳太子)
推古天皇 そうそう、「日出処の天子、書を没する処の天子に致す」よ。
あのね、一部を除いては、まだまだ私たちの権力など日本国内には届いていなかっ
たことが現実。大国の後ろ盾は大切だからって、厩戸皇子が興味を引く文章を作成
して隋へ送ったというわけ。
しかも、国内の豪族たちの反感を買わないように気を配って、心を砕いて国を治め
てきたのよ。
Rico 目に見えぬご苦労があってのことですね~。推古様の権勢もお強かった!
推古天皇 民の心をつかむには、政策を練る男だけではなく、実行に移すわたくしの
ような女が必要なのよ。そなたも肝に銘じておくことね。
Rico はっは~。(頭を下げる)