シリーズ この方はこんな人㉓新島八重

こちらは日本史大スキ女のわたしが、日本史上有名で気になる女性たちを
一人でも多くの人に知ってほしいと願い、もうけたコーナーです。
インタビュー形式で展開していますので、興味がありましたらご一読くだ
されば嬉しいです。お次は、この方の紹介です。

~「ならぬことはなさぬものです」会津のプライドを胸に激動の時代を力強く生き抜いた ハンサムウーマン~

【プロフィール】
1854年~1928年
会津藩砲術指南役の娘として生まれる。1868年新政府軍が包囲する会津若松
城で、最新兵器スペンサー騎兵銃と大砲を操り、圧倒的不利のなか奮戦。
1876年新島襄と結婚。その強烈な個性から悪妻ともいわれたが、夫は友人へ
の手紙で「生き方がハンサム」と評している。日露戦争では篤志看護婦としても活
躍した。

【インタビュー】
Rico  2013年のNHK大河ドラマ『八重の桜』の主人公、新島八重様です。
わたくしごとですが、このドラマの松平容保さまがメッチャ好きでした。

八重  演じた俳優は「綾野剛」さんだが。どちらが好きか?

Rico  両方です!(キッパリ)

八重  私も2人とも潔くて恰好よいと思う。我が兄の覚馬もクールな中にも熱
き心を持つ良い男だったし、1人目の夫・しょうサンは深みがあり見た目はイケメン
の男前、2人目の夫・襄は笑顔がキュートで私にぞっこんのバイリンガルでな・・・。

Rico  ストップ!八重さんは意外と話しますな~。ただしここからは、私が質問を
していきますので、それにお答えくださいませ。

八重  では幼少の頃から話そう。

Rico  いや、だから私が質問するので・・。

八重  兄、私、弟の3人で育った。兄は先進的な考えを持っていて会津では珍
しがられた。でも人を上回る博識で、お顔にも知性がにじみ出ていたから周囲から
尊敬もされていた。私も弟もこの兄から様々なことを教わったものだ。
女だてらに銃をぶっ放しても応援してくれたし、品質の良い銃も研究していた。
我が家は砲術家だったからな。しょうサンは兄の友人と紹介された。
あっ、川崎尚之助という。

Rico  語りますね~。お兄様からは他に何を学ばれたんですか。

八重  すごいぞ、兄は藩の洋式化を目指しておられた。しょうサンは、そのため
に会津に連れて来られた。彼は洋学者だったから。

Rico  なるほど!兄ちゃんは異色ですね。

八重  うん、だが戊辰戦争で会津はあっけなく負けてしまった。
私は死んだ弟の形見の装束を身にまとい反撃隊に加わって戦に出たが、多勢に無勢
とでもいおうか、木端微塵に敗れてしまい、その時にしょうサンとも離れてしまった。

Rico  全面降伏した会津で悲惨な生活をされているときに、新政府に起用されてい
たお兄様からお呼びがかかったんですよね。

八重  うん、取り急ぎ京都に行った。京都の隆盛を目の当たりにして、会津のみ
すぼらしさに思わず涙した。だが、それよりもショックだったのは、覚馬兄様が失
明されていたことだった。新政府から会議に兄様に出席してほしいと要請が来るの
だが、兄様1人で送り出すのは心もとない。

Rico  まさか八重さんがおぶっていったとか?

八重  ほう、よくわかったな。

Rico  まじっすか!さすが八重さんです。お兄様は誰に会いに行かれたんですか。

八重  岩倉具視、木戸孝允、勝海舟だったかな。

Rico  もう、すごすぎて、何なんですか、その超有名人との会議って!
いずれも時代の超人ですよ。

八重  ふ~ん、岩倉さんは憎めない、がめつい爺さんだし、木戸さんなんて幕末
の頃は「逃げの小五郎」なんてあだ名をつけられていた。勝さんは小柄なくせに態
度はでかかった。
私は彼らや兄の紹介で職を得て働いているうちに、襄と出会うことが出来た。

                (新島襄)

Rico  八重さんの2度目のダンナさんですね。

八重  当時の襄は、兄様といっしょにキリスト教主義の学校である同志社大学
を設立したいと駆けずり回っていた。

Rico  バイリンガルでいらっしゃるから、キリスト教信者だったんですね。
でも、まだまだこの時代にはキリスト教の大学を創立しようという観念はなかっ
たでしょう。八重さんに抵抗はなかったんですか。

八重  会津に正義はあった。
にもかかわらず、骨の底の底まで信じられないような仕打ちを受けた。
それからは、己が信じられるものだけしか信用しない、と心に誓った。襄のいう
ことは信じられる。なればキリスト教も信じられる。ヘヘ、心に響いただろう?

Rico  いやあ、最後の一言がなければジ~ンときましたよ。ようは、襄さんに惚れ
たっていうことですよね。

八重  私の身体と心の大きさに惚れたと言ってくれた。そうさな~、大きな熊
のヌイグルミを、あこがれの目で見る少年のようであった。だが、別に気にはな
らなかった。

Rico  はぁ、八重さんがそれでよければいいんですけど。八重さんはキリスト教
信者になられたんですもんね~。

八重  フム。チャペルで結婚式をあげて「アーメン」も唱えたぞ。キリスト教の
教えは、本当にもっともだと聖書を読んで感じたしな。

Rico  夫婦仲もたいそう良かったとお聞きしましたよ。

八重  襄は私のことを「八重さん」と呼び、私は彼のことを「襄」と呼んだ。
襄を慕う若者たちからはバッシングの嵐だったけれどもな。

Rico  徳富蘇峰氏が八重さんのことを「鵺」と呼んでいた話は有名でしたよ。

八重  彼は襄を尊敬する反面、私のことが大きらいだったと思う。よく嫌味を
言われたし「鵺」とささやかれたりしたが、私は「あほらしい」と思った。襄に
わざわざお願いして、人力車に乗りながらあやつの目の前を通り過ぎてやった。

Rico  強いですね~。

八重  「ならぬことはなさぬ」の強い精神は、かけがえのないものだ。キリスト
教への偏見の嵐をあびていた襄をこの言葉で支えたものだ。そして見事、同志社大
学の設立へとこぎつけることができた。

Rico  八重さんは、幕末のジャンヌ・ダルクとかハンサムウーマンとか評されてい
る性根の座った不屈の精神を持つすてきな女性なんですよね~。