シリーズ この方はこんな人⑩和宮

こちらは日本史大スキ女のわたしが、日本史上有名で気になる女性たちを
一人でも多くの人に知ってほしいと願い、もうけたコーナーです。
インタビュー形式で展開していますので、興味がありましたらご一読くだ
されば嬉しいです。お次は、この方の紹介です。

~公武合体のため婚約を破棄して泣く泣く降嫁するも 最後は姑殿といっしょに江戸城を守った大立役者~

【プロフィール】
1846~1877年
仁孝天皇の第8皇女として生まれたが、誕生前に父は他界。異母兄は孝明天皇、
夫は徳川第14代将軍家茂。婚約者がいたが公武合体策のため降嫁せざるをえなか
った。だが同じ歳同士の夫婦の仲は良好であった。4年後夫は大阪で病没。
次の慶喜の世に江戸城総攻撃に遭うところを、天璋院といっしょに無血開城へ導
いた。京で5年、続いて東京で過ごしたが32歳で療養中の箱根で夫と同じ病気
で亡くなる。

                             (徳川家茂と和宮)

【インタビュー】
Rico  時は幕末、公武合体のため徳川14代将軍家茂公に降嫁したヒロインとは
この方です!

和宮  ごきげんよう、よろしゅうに。

Rico  ヒョエ!愛らしくて品がおありで、さすが孝明天皇の妹君です。
早速不躾な質問ですが、やっぱり徳川家に嫁ぐのは抵抗ありましたか?

和宮  幕府はケモノが住む場所や~、と評判でしたさかいに随分と泣きまし
たなぁ~。せやけど、泣いてる私を見て御上が「1歳の私の娘を嫁がすさかいに
泣き止みなさい」と言わしゃれたときに、心が決まりましたんや。

Rico  実際に嫁がれてどうでしたか。やっぱり「けだもの」ばっかりでした?

和宮  「武士とは野蛮な生き物や」て聞かされてたけど、実は私の夫になる
上さん(家茂)を拝見したときに「全部うそやん」て思いましたわ。上さんは、
物静かで清純で・・・しかも・・・。

Rico  しかも??

和宮  イケメンどしたんよぉ~。京にもありゃしまへんくらいに気品あふれる
御姿どした。

Rico  あ~、なんというか、良かったですね~。
だけど、姑にあたる天璋院さんとは険悪なムードになったらしいですね。

和宮  そうどすな~。大奥を取り仕切ってらっしゃるし威厳もお持ちどしたけ
ど、それよりショックどしたんは、初めておめもじした時に私の座る席が用意さ
れてなかったことや。天璋院さんには敷物があって私にはなかったんどす。

Rico  ムムム。徳川方にも言い分があったのでは。

和宮  その言い分を私についてきた女性たちは聞く耳をもたへんかったんや。
そっから、大奥の女性たちといがみ合いがひどうなったんや。

Rico  こわぁ~い、公家女VS武家女の戦の始まり始まり~。
京と江戸では文化も違うし、ましてや宮様は公家のご出身だから武家のしきたり
にはご苦労されたでしょうね~。

和宮  大奥に入っても生活様式は京のときのまんまや。
上さんが「親子、あ~、『ちかこ』と言いましてな、私の名前どす。それで親子の
好きにしてええよ」って、言わしゃれたんで、大奥の女性たちも何も言えへんのや。
上さんは日々の挨拶も自分からいらしゃるし、ひんぱんに甘いお菓子をくだされま
したんよ。お菓子は2人で召し上がりましたんや。上さんは、たいそう甘いもんが
お好きで。

Rico  宮様は家茂さんが大好きなんですね~。うらやましいですよ。

和宮  そら、さわやかイケメンと言う言葉は上さんのためのもんどす。
聞いとくれやす。御上(兄様)に攘夷について説明するため上洛するよう言われはっ
て、旅立つ前に私に「お土産は何がよい?」と聞きはるさかいに「西陣織をお願いし
ます」と言いましたんや。「楽しみにしとくがよい」・・・それが最後のお言葉どし
た。上洛して病気になりお亡くなりになってしもうた。皮肉なことにお約束された
西陣織だけが、あとから送られてきましたんや。うぅ~、グスッ、あかんな~。
思い出すと???これっ、なにゆえ、そちが泣いておる!

Rico  うぉ~ん、うぉ~ん。だって悲しすぎますよ~。(涙ふいて)
たしか、次の将軍に慶喜さんが決まってそこから激動の展開でしたよね~。

和宮  天璋院さんと力を合わせて徳川家を守らなあかんな~、って言うてても
ヨッシーはんは、私らの事は完ムシどした。なんも事情を知らされんままに戊辰
戦争になったとたん、ヨッシーはんが突然大奥に来て、私と天璋院さんに「助けて
くれ」と泣きつかはったんどすよ。

Rico  あ~、薩長同盟が成立して大政奉還があった後の事ですね~。
まぁ、しかし今まで完ムシしてた宮様たちに今度は自分の命を助けてくれ~、
な~んて薩摩出身の天璋院さんと公家の出の宮様に泣きつくとこなんぞ、ある意味
すごい男ですね~。

和宮  あないな人はどうなってもよろしいが、徳川家と大奥の女性たちは守らな
あきまへん。せやから、天璋院はんは薩摩藩へ、私は天皇家宛に嘆願書を書きまく
りましたんや。
さいわい、勝海舟の尽力もあって、江戸城総攻撃は回避されましてな~。

Rico  お2人のおかげですよ。アッパレ!
その後京へお戻りになられて、続いて江戸、あっ、その頃には東京という名称に
変わってましたね。そちらへ移られたと。

和宮  勝海舟はんと、天璋院はんで食事も一緒にしましたんえ。
勝はんのご飯をよそうのに、「私がやります」「いえ、私がやります」なんて、
天璋院さんとお互いに言い張ってしもうてね~。勝はんが「お2人からよそって
もらう飯が食いたいです」と助け舟を出してくれて・・・。
あ~、時代はこないに過ぎていくんやな~と、しみじみ思いましたんえ。
ほんま短い人生どしたが後悔はしてまへん。

Rico  気品があって柔和で温厚。本当にお雛様みたいな方でした。