シリーズ このお方はこんな人⑤与謝野晶子

こちらは日本史大スキ女のわたしが、日本史上有名で気になる女性たちを
一人でも多くの人に知ってほしいと願い、もうけたコーナーです。
インタビュー形式で展開していますので、興味がありましたらご一読くだ
されば嬉しいです。お次は、この方の紹介です。

~変化の波を縦横無尽に乗りこなし クリエイティブな生き方で情熱的な歌を作り続けた歌壇のスーパースター~

【プロフィール】
1878~1906年
大阪堺に生まれた歌人、作家、思想家。妻子ある歌人・与謝野鉄幹と駆け落ちの末、
結婚。11人の子どもを育てながら、歌集『みだれ髪』で、その才能を世間に認め
させ、『君死にたまふことなかれ』など、数多くの作品を発表した。
旺盛な創作意欲を発揮しながら、収入がほとんどない夫にかわり家計を支えた。

【インタビュー】
Rico 「私は芸術家よ、歌人ではないわ」と言いながら、生涯残した歌は5万首。
どう考えても歌人でしょう!と突っ込み入れたくなる人が、こちらの晶子さんです。

晶子 言ってもいいかしら。私が歌人なんて肩書を持っちゃうと鉄ちゃんの機嫌が
悪くなるのよ。彼は「我こそは偉大なる歌人」って信じてるんだから。

Rico 鉄ちゃんは与謝野鉄幹さんのことですよ。だけど大恋愛でしたよね~。鉄幹さん
って、妻子がいらっしゃったのに晶子さんと駆け落ちしてしまうんですから。

晶子 情が深いのよ。私と籍を入れても元嫁に手紙を出したり、元嫁が再婚したら嘆
き悲しんだりするの。

Rico 結構めんどくさい男じゃないですかね。

晶子 芸術家は自分勝手なのよ。私も勘当された実家から、あっ、私の実家は大阪
の堺市でも老舗の和菓子屋なんだけど、私を心配した母親からタンス2棹分の着物
が送られてきたの。ほら、与謝野家は11人の子どもを抱えてたし、鉄ちゃんの歌
も全然売れなかったから超貧乏だったのよ。

だから、1枚1枚送られてきた着物を質屋に売って生活費にしたもんだわ。本当
に助かったわ~。
ねっ、親からすると私も自分勝手な人間でしょ?

Rico ほんと、ちょっと親不孝かもって思っちゃいました。まあ、それくらいご主人
に惚れてたんですね。

晶子 う~ん、私は不幸な境遇のほうが才能に花開くタイプなのかも。『みだれ髪』
も鉄ちゃんの歌集が絶望的に売れなくなったときに出来上がったし、かわいい弟が
戦争に召集されたときに作った、『君死にたまふことなかれ』も大評判だったしね。

Rico 次々と執筆依頼がきたんですよね。ご主人ではなく晶子さんに(汗)

晶子 だから舞い込む仕事は全部引き受けたわよ。おまけに子ども達のお菓子から
着るモノから本にいたるまで、すべて手作りしたわ。鉄ちゃんは気持ち的にノイロ
ーゼになりかけてたし。

Rico 尽くす女だけど進歩的ですよね~、晶子さんは。「思想家」としても鋭い意見を
バンバン発表してましたもん。

晶子 面と向かって言うより楽よ。私、人と面と向かって話をすることが苦手なの。
それに書く言葉ならいくらでも浮かぶもの。らいてうちゃんも最初は『青鞜』の原稿
を書いてほしいって、すごい謙虚だったのに、途中からトンチンカンな自論を述べ始め
て・・。お互いに誌面で言い合いになっちゃったわ。

Rico 平塚らいてうさんですね。確か「母性保護論争」でもめたんでしたっけ。

晶子 自分の子どもを守るのは自分だけ。国家や男に守ってもらおうなんて甘い考
えはやめなさいよ、って論文を書いただけのに、猛反発してくるんだもの。

Rico 経済的に自立している女性であれば言えるセリフなんですよね。

晶子 11人の子どもと家計を維持しなくっちゃいけないのよ。やる気があれば何で
もできると思うんだけど。自分が稼いで夫には好きなことをさせてあげる。「お前がい
ないと生きていけないよ、ありがとう」って感謝してもらいながら生活するほうが楽
しいじゃないの。だからこそ、仕事に手を抜いてはダメよ。いつだって真剣勝負よ、
わかる?

Rico お説ごもっともです。だって、晶子さんはあの紫式部の『源氏物語』の現代翻訳
までしてしまったんですから。歌は詠むわ、翻訳はするわ、論文を書いて子育てもする
なんてスーパーウーマンですよ。

晶子 それもこれも鉄ちゃんがいたからこそだわ。彼はたくさんの刺激とやる気を私
にくれたもの。

Rico 現代でしたら離婚ものの夫ですけどね。